染髪tips

最近は髪の毛の色を染めるのにハマっている.

青色にして社会性を消し飛ばしてSFを読みたい(なぜならそれがサブカルの在り方だと思うので).

で,青色を入れるのに市販品では結構苦労している.現在も青なのか黒なのかわからない禄でもない色になっとる.

遍歴としては,茶→金→上に薄青→さらにハイパー金→薄緑→茄子色.

ここで,洗髪における色が入りやすくなりそうなtipsをまとめてみようと思う.

 

・乾燥した髪からスタート

  ドライヤーでガンガンに乾かしてからスタートする(塗る)と比較的入りやすいと思う.

 逆に,濡らしてスタートしたときは全然色が入らなかった.

・とにかく丸々一本使うつもりで塗りまくる

  染髪料のプラ瓶で作ったのの全部使うつもりで手袋に出して頭に塗りましょう.

 それでも2割くらい余るが,もっと行けると思ったらもっと行け.

・放置時間

  染料によるが,明るい色からスタートするなら塗り時間込みで45分くらいがいいかも.

  これがもっと伸びると逆に色が変色します.それ狙いでやるならアリな手法.

・ぬるま湯で流す

  40℃くらいのお湯で流すと普通に染料全部落ちてしまうと思われます.

 やるなら30~33℃くらい?冷たいと感じる一歩手前あたりが一番落ちにくいと思う.

 

早く異常髪色になりてえよ~~~~~

政治の話

今日は最悪だった.ヒトは十何時間も起きることに耐えられないらしい.はやく丸一日中起きていられる身体が欲しい.

這うようにして帰路へつく.ようやく最寄りに帰ってきたとき,選挙のビラ配りがいた.一番渡してそうな若い兄ちゃんでさえ,目をしっかり見つめながら歩いたら渡すのを躊躇していた.そうやって渡すチャンスを逃していくんだな.その向こう,爺の上に音楽,それも選挙とは似つかわしくもないヒップホップ.Bluetoothスピーカーで流しているのだろう.

俺には,選挙の一票よりその無造作無作法のヒップホップこそが自分を救うように思えた.そもそも,端的に救いを求める人間に,それも自然科学信者に政治などという薬は弱すぎる.この街には日々がうまくいっているのか,気迫のない人間が多い.それはいいことで,同時に羨ましい事でもある.

脳裏に焼き付いた光景のために走る人間にどうしてそんな弱い解決手法を提示するのか,何時間か経過した今でも不思議でならない.

詩は,人生の切り売りだよ.

ひどい天気だ.こういう日は,網戸にして梅雨寒に毛布をあてがいながら,ソーシャルゲームの周回でもやっておいたほうがいい.”詩は,人生の切り売りだ”と言おうとしてやめたところで,自分はそこまで詩に身を窶していない事に気づいた.自分ってのがどんな存在か雨音にかき消されるような気を持ちながら,それでもそれを求めて雑踏に紛れようと都会へ出たこともあった.それが今では,自分はどうしてもかき消えない存在になっていた.なってしまっていた.今や自分を紛れ込ませかき消してくれるのは,乗換が混雑するので車両のドアに集る蛾と,ひっかき傷すらつけようのないパチンコ玉の雨だけになってしまった.雨音はどうにも心臓をねちっこくそのまるい表面で圧迫してくるし,容易に砕けた雨は靄になって道に迷わせる.いくらきれいにしたってそれをぐちゃぐちゃにする癖は治っていない.傷痕を見ては舌が濡れるし,瘡蓋を見ては爪が伸びる.結局は崩す積み木にすぎない.詩は,人生の切り売りだよ.

Chemistress - 春の巡礼の記録 -

4月,自分は世界を回すために生きていると思っていた.世界が早く回ればそれで自分の体は千切れても良いと思っていたし,足の軋みすらその駆動の源だった.

人は,生きる理由が,生きなければならない理由が代入されると加速するという話をしたね.あの時の自分は,まさに巡礼を始めたばかりの第一の子であった.

 

5月,自分の体が動かなくなる.碇シンジはよくあの状況で初号機を動かしたと思う.自分も,母に着替えを助けられ薬を増やしてもらいに行った.原因の半分は貴様らなのだから,礼こそ言うもののもはやどうでもいいとすら思えていた.失意は,「それでも」という逆説を奪うからこそ失意なのだけども,それを援助ありとはいえ乗り越えた自分を褒めてやりたい.しかし,褒めるにはまだ早い.533の鎖は未だ.

 

6月,レディ・スピネルと出会う.自分は本当にあの狼のように飄々と笑っていたかったし,最後の最後に手の届かない人たりたかった.あと四半月あるが,さてどうなることか.できれば人売りの妖精たちには,アニスと出会ってほしいものだ.

 

今日の話をしよう.

元々は自分の同窓として亀甲を描いていた者が,より強い者の前で黙り,早口でまくしたてられていた.現実として見ればそれだけの事なのだけど,それだけの事が一番自分にとってはストレスである.自分のストレスはもっと大きいものばかりなのでさほど気にも留めない.些事である,自分の身にすればね.しかし,他者という鏡を介して受けるストレスは耐え難い異質性を持つ.自分の痛みはもはや些事だというのに,なぜ鏡に映すだけでこれだけ鋭利になるのだろうか?自分にはもはや分からない.同窓の者の吃音のせいか?日本語が少し下手という認識からだろうか?

こんなとき,狼たれれば.何も思わず,人間失格者としてただ笑みを浮かべられれば.そんなに楽な事はなかったろうに.

何?

最近のことを思い出してみると,全部逃避が行動原理になっていることに気が付いた.

学校にいるのも家にいたくないからで,勉強のことも嫌な事を忘れたいから.

嫌な事があまりなかった冬の間が懐かしい.

逃避したいがために勉強をするから専門家が教えてくれたこともただ単に矢印で繋いだ単発の知識としてしか身についていなくて,まるでチンパンジーの早押しクイズみたいだ.

線路は逃避の実行先としてしばしばインターネットに情報が流れるが,自分がそうなっていることを想像して,具体的には歯と骨と手足の肉の塊がPCとiPadとその日のお弁当と鞄の繊維の混合物になっていることを想像してあまりにも滑稽で笑えてしまう.

それでも生きているだろうことがなお滑稽で,何も美しくなくて嫌な顔をしてから笑った.

それでもそれでもと言いながらうだうだしがみついてることが自分でももう分からなくて,定常を保つための歯車よりどっちがいいかもわからない.

 

やっぱり飯を食うと良い文章は出てこないらしい.

散歩

珈琲を飲み,犬の散歩に行った.夕方の涼しい風が心地いい.

やはり散歩はいいものだ.犬と一緒ではあるが.

でも,虚脱状態になっているようなときに行ってくれと言われると普通に嫌だな.

これも他のことも,自分が一言”xすぞ.”と言えればいい話なのだけれど.

蚊に滅茶苦茶というほどではないが噛まれた.これはxす.

 

さて,長めの前置きはこれくらいにして,散歩の間考えてたことを書いておこう.

帰宅して直ぐに風呂洗いも行ったために考えたことも少しあやふやになってしまった.

前置きの項もあまり具体的ではないな.そしてこれを打っているこの瞬間セールスマンがインターホンを押してきて飛びそう.xすぞ

 

散歩の間主に考えてたことは情報とその移動の事.

あと検索性.

ヒトは生きているという状態のとき多くの情報を持つ(というか,発する?)

が,死んでいるという状態になったとき情報は発されなくなる.

この差,情報量の差だな.これを明確にすれば死って何かもうちょっと理解できそうな気がする.で,単位時間に発する情報量を考えたときにインパルスみたいな形,離散,まあ突然死とかだと難しいが連続的に(ゆっくりと,と言い換えた方がいいのか)死んでしまう場合,その微分を採ってやればいいのか,みたいな事を曖昧に考えてた.

 

我ながら頭のおかしいやべー考えだな……とは思う.

 

そして,検索性.まあこれもまたやべえ考えだなーみたいな気持ちはある.文章にしたとたんに自分にとってピンと来ない物が出力されるのはなんでだ?

人はまあ今検索欄に文字を打って検索して情報にアクセスする.

Youtubeにも文字を打って検索してアクセスするがこれもおかしな話だと思う,みたいなところから始まり…….

結論,出た問いを書いてしまえば”人が動画のような文字にならない情報を用いて検索できるようになればワンランク上に行けるのではないか?”ということ.ヤバい.

時間をおいたせいか曖昧ではある.で,書いてる途中に思ったがこれは記憶にアクセスするときと動作が似ている.あの動画なんだっけ?みたいな例やこれは紐づけの話だなみたいな事も脳に過っていった.

文章にするのは結構難しいし倫理的にもどうかと思うような話だ.まあ倫理とかそれにくっついた拡張概念という社会ってこう,モヤッとしていたりソリッドだったりバランスが難しい.入れ込みすぎても棒を持った昆虫みたいになるし,入れ込まなさすぎても棒を持った昆虫に囲まれることになる.本来一番いいのは棒を持った時にそれを自分の家を建てることに使えることなんだけども,どうもそうはうまいこといってくれないらしい.はあ.なんか落ち込んできたのでやめにしよう.終わり

下宿への思い

 俺にはわかる.あの床の少し剥げたワックスの手触りも.俺にはわかる.ディーゼルの煤で朝に洗ったのに昼にはザラザラになってしまう室外機の手触りも.座り心地も.俺にはわかる.サラダ油に塗れてベタベタになった壁紙も.すべてが触覚になって再現されてしまう.コーナンで買った安いマットレス,タオルケットにくるまり朝が来るまで何もできずに時間をつぶすようにゲームもできずに,ただただYoutubeで無言のサバイバルの動画を見た日が,頭の中を不意に塗りつぶし,何もできなくなってしまう.

 どうしようもなく思い出されてしまう.手触りさえも不意に下宿に戻ってしまう.

もう帰れないのに.家具は引き払うときに殆ど捨ててしまった.あの空間に今使っている鞄がぽつんと一つあったところで,もうそれは帰ったとは言えないんだよ.

 

 酒に酔ったあの日,その次の日はとてもとても雲が綺麗な晴れの日だった.

自分は,網戸の向こうにその綺麗な雲を眺めていた.1mmの鉄格子.

どうしてもあの綺麗な入道雲には届かない.やがて雨が降り出した.

シトシト,シトシト…… 雨の向こうには,もはや自転車のベルも聞こえず,ノートパソコンの画面と,その中で走るソーシャルゲームのキャラクター.画面の横には,カップラーメンのガラで作った自前の灰皿.5ミリの雨とタール.

 

 アルバイトはどうもうまくいかなかった.嫌味なことを言われた日には帰りに必ず9%の缶チューハイをロング1本空けていたし,スーパーからの帰路でなくなってしまったら数分後にはもう1本買いに行く始末だった.オンライン授業の課題もせずに.

 

そうして,そうして,今はただ帰れない下宿を川向うに眺めながら,煙草を吸っています.不意に思い起こされる記憶と戦い,勝ってしまったら,自分はどこへ行くのでしょう?

20220405 或る思考の実験

生活において何らかの自動化をしたい.

自動化は関数なので(ex.自転車は半自動,自動二輪車になると自動),まず正常に動く必要がある.生物の恒常性を真似できないか

生物の恒常性,または保存性.自分は自己の保存およびプライバシーにおいて割と極左的な考えを持っていると思う(全部渡すので全部保存してほしい).要はこれを見ている人がいる時点でもう完全なる秘匿は存在しないと考えている(要約できていない,要はと言っておきながら).

髪の毛一本塵一つにもコード化された情報(化学構造,生体なら塩基配列といってもいい)があるのでそれらをすべて記録したい.

あとは汎長性(変換できないが,本当にそんな言葉が存在するのか少し不安).

生物の保存性というとこで考えたらほとんどこれに近い.この世に一体しかいない生物はあんまりいない.ヒトは多様なので割と一体しかいないと誤認しがち.

仮に宇宙に汎長性があったらという思考が並行宇宙論につながる.

粗視化と微視化を反復横跳びしている.ある程度の一般化は必要.プライバシーの考え方にもつながるが,どこまでのインパクトということだな.

 

要素ブレストがある程度進んだので,箇条書きにしてみる.

・生物的自動化

・恒常,安定

・自己保存

 

あんだけポチポチ打っておいてこれだけか.薄いな

バイオリズムの記録が自動で保存されて消えない,といったところか.

思考を記録する,が欲しい.肉体的には割と計器でどうにかなっても,記憶はどうにもならない.

紙などの逸失しやすい媒体に記録するのは悪手.できるならどこか電子的に保存しておいて汎長性をカバーする.(質点の移動,体内分子の変性(視点が曖昧になったので枠に入れておいた).)

 

例えば服薬.眠剤を飲む時間のアラート?軽いな.軽いというか薄いか.

体温測定?時勢的にも社会的意義が乗ってきてガラは良いが,そんな事は全員計器でもうやっているだろう.

服薬は生活に寄っているが体温の自動測定なんかは生活から遠い.生活というかもう少し具体的に考えれば生活の”安定化”が正しい.自動化の先にあるのは安定化したいというビジョンだろう.

究極的には得た五感がデータとして蓄積されて整頓されていると良い.

GoogleフォトやLINE的なところが正しいか.自己情報の自動ストレージ.

便利にするtips,かつ他人の役に立って世界が回るとなおよい,あと分散した多数ではなくて入り口は一つ,中で分散している,多機能.そういうところが自分には嬉しい.

 

箇条書きにする.

・自動自己ストレージ

・便利

・安定化

・多機能の個

 

入力の手間がないと良い.gCalは入力に手間,また記録漏れの可能性があり確認癖が出る.

自分の持ってるストレージとGoogleのストレージをがっちゃんこできればいいわけだ.

そしてそれが自分の自由に一般化でき,部分的に他者と共有できる.

サービスの組み合わせになると思う.しかし,それでは巨大でもいいので多機能を満たさない.

 

高度な自己管理を目指したい.みたいなところか.思考が出てこなくなったのでここまで.無っぽいが割と得られるものもある?ような,思考実験らしい思考実験とも言えないがそういうものになったのではないかと思う.

A版ノートをプライバシーマスキング(自主検閲)してここに投棄するのも良い(投棄するというのは言い方が悪いが).どうせ肉体の死が近づいてきたらそれはやらないといけない事だと思っていたので,良い練習になった.