散歩

珈琲を飲み,犬の散歩に行った.夕方の涼しい風が心地いい.

やはり散歩はいいものだ.犬と一緒ではあるが.

でも,虚脱状態になっているようなときに行ってくれと言われると普通に嫌だな.

これも他のことも,自分が一言”xすぞ.”と言えればいい話なのだけれど.

蚊に滅茶苦茶というほどではないが噛まれた.これはxす.

 

さて,長めの前置きはこれくらいにして,散歩の間考えてたことを書いておこう.

帰宅して直ぐに風呂洗いも行ったために考えたことも少しあやふやになってしまった.

前置きの項もあまり具体的ではないな.そしてこれを打っているこの瞬間セールスマンがインターホンを押してきて飛びそう.xすぞ

 

散歩の間主に考えてたことは情報とその移動の事.

あと検索性.

ヒトは生きているという状態のとき多くの情報を持つ(というか,発する?)

が,死んでいるという状態になったとき情報は発されなくなる.

この差,情報量の差だな.これを明確にすれば死って何かもうちょっと理解できそうな気がする.で,単位時間に発する情報量を考えたときにインパルスみたいな形,離散,まあ突然死とかだと難しいが連続的に(ゆっくりと,と言い換えた方がいいのか)死んでしまう場合,その微分を採ってやればいいのか,みたいな事を曖昧に考えてた.

 

我ながら頭のおかしいやべー考えだな……とは思う.

 

そして,検索性.まあこれもまたやべえ考えだなーみたいな気持ちはある.文章にしたとたんに自分にとってピンと来ない物が出力されるのはなんでだ?

人はまあ今検索欄に文字を打って検索して情報にアクセスする.

Youtubeにも文字を打って検索してアクセスするがこれもおかしな話だと思う,みたいなところから始まり…….

結論,出た問いを書いてしまえば”人が動画のような文字にならない情報を用いて検索できるようになればワンランク上に行けるのではないか?”ということ.ヤバい.

時間をおいたせいか曖昧ではある.で,書いてる途中に思ったがこれは記憶にアクセスするときと動作が似ている.あの動画なんだっけ?みたいな例やこれは紐づけの話だなみたいな事も脳に過っていった.

文章にするのは結構難しいし倫理的にもどうかと思うような話だ.まあ倫理とかそれにくっついた拡張概念という社会ってこう,モヤッとしていたりソリッドだったりバランスが難しい.入れ込みすぎても棒を持った昆虫みたいになるし,入れ込まなさすぎても棒を持った昆虫に囲まれることになる.本来一番いいのは棒を持った時にそれを自分の家を建てることに使えることなんだけども,どうもそうはうまいこといってくれないらしい.はあ.なんか落ち込んできたのでやめにしよう.終わり