災害前夜
────あるいは,秋の一昨夜?
災害がヒーローのように現れて,自分の正気も狂気もないまぜにして平衡にしてくれる────
いつのころからか,いつも,災害の前夜はそんな,ありもしない花畑のような儚い光のようなものに縋るような気持ちになった.
もっとも,その数時間後には何ら変わりのない退屈さにそんなお花畑は殴り殺されるのだけれども.
今でさえ眠ればその花畑は大嵐に見るも無残にとっ散らかされて退屈という荒野が眼前に広がるというのにその花畑のパラレルワールドを捨てきれずにいる.
先日,仕事仲間と晩御飯を食べに行った際に「憧憬的な日本の夏は好きであるが現実的には秋や冬の方が好きである」といった話をした.
秋や冬に退屈はしない.いつでも私のつま先から伸びた何かを踏み外せば容易に死ぬであろうことは(今や妄想なのか現実の表現的な揺らぎなのかはないまぜとなり,平衡になった)自覚できたし,そういった気持ちにちょうど喉を通るくらいの熱さを持った飲み物が染み渡り心にあと一歩を歩む足を踏み出させるのだ.
畢竟,私はどこまでもどこまでもどこまでも続く平穏というものが受け入れられずに困っているのだろう.厳冬であればあるほど充実した冬として記憶に残っていることからも裏付けが取れる.
毎日が崩落と楽園の行き交いだったらいいのにな.災害前夜ですら退屈だよ.